教会の部屋にいると、道を歩く人の色々な話し声が聞こえてきます。「あ、ここ、教会なんだ」子どもが言うのを聞いて、聞き耳を立てると、一緒にいた友だちが「そうだよ。泉教会って言うんだ」来たことのない子どもがちゃんと教えているのです。うれしいな、と思います。ある時は「お母さん、教会って何するところ?」と言っています。(へー、何と答えるのかな?)「お祈りするところだよ」。このお母さん、お祈りに来てくれたらいいなあと思いました。またある時は、こんな遣り取りがありました。「お母さん、お葬式があったの?」なぜ、そんなことを言ったのかなと、しばらく考えてしまいました。ひょっとしたら、十字架を見てお葬式を連想したのかな、と思いました。人は、教会の前を通りながら、いろいろ考えるのですね。
でも、考えたり想像したりはするのですが、中に入る人は、少ないのです。百聞は一見に如かず。どうか、教会を訪ねてほしいと思います。ある時、地域の小学校で、子どもたちが放課後、何をしているか調査したらしいのですが、「教会で遊ぶ」と答えた子どもがいたそうです。当時、教会に、よく子どもが遊びに来ていました。その子たちが、教会で遊ぶと書いたのでしょう。それで、教会って何をするところだろう。どういう遊びをしているのだろう。こうして、学校からお話を聞かせてくださいということで、お訪ねくださいました。小学校からも、中学校からも、ケースは違いますが、いずれにしても学校関係者が、そのようにして、お話を聞きに来てくださるのです。
聖書に、「来て、見なさい」とキリストに会ってみることを勧める言葉があります。想像しているだけでは思い違いが起こります。何々してはいけないという規律が厳しいところだろうとか、何々すべきだと律法的なところだろうとか、教会に対する誤解もあります。そうだったら、子どもは来ない。「来て、見なさい。」きっと新しい発見が、あるはずです。私自身も、駅前で配られたチラシ1枚を手に持って、「来て、見なさい」というのだったらと、見に行った人間です。あなたも、どうぞ。