2022年、再び感染急増を受け、またしても当面は礼拝堂を閉鎖することにしました。2年、コロナと付き合ってきて、臨機応変の対応を学びました。無理をせず、今は、こういう時だと受け止めることが大事かなと思います。
ところで、
人と会うということは、色々な話ができて、人間性を理解しながら、目の前の人の意を汲む会話をしているのだと思います。
しかし、会えなくなると、そういう普段している会話がなくなり、人間性での出会い方から、言葉だけの出会い方に変わるわけで、メール、SNSは顕著で、ZOOMは双方向とはいえ、平たい画面越しでは、やはり、ぎこちない。
ふだん、それでもうまくいかない時はいかないのですが、しかし、いかにその場の空気を読みながら、言葉より人間性での出会いがされてきたかと思います。
言葉だけは、やはり、きつい。誤解も生むだろうし、トゲトゲしくもなるだろうし。逆に疎遠にもなるだろうし。いかに、普段の出会いが大事であったか。コロナによって奪われるものがあったとしたら、言葉の貧しさを補う人間らしい出会いと、そのような会話だと思います。これを、コロナごときに奪われないように心したいと思います。