大磯にある澤田美喜記念館収蔵のキリシタン信仰画が、「16世紀末の安土桃山期のもので作品である可能性が高いことがわかった」と昨年、メディアが報じました。今回、記念館を訪問しました。和紙に書かれた巻物で、キリストの生涯の15場面が墨で描かれ、ラテン語の祈りの言葉の原音がそのまま、ひらがなで書かれていました。
 私が感銘を受けたのは、「御出生以来千五百九十二年 はうろ」という記載です。御出生とは、イエス・キリスト御降誕のことで、いわゆるAD(主の年)1592年のことです。キリスト教は日本に1549年に伝来、豊臣秀吉は1587年にバテレン(神父・宣教師)追放令を出しましたので、その5年後の作品ということになります。秀吉がバテレン追放令を出し、やがて江戸時代のキリシタンの大弾圧の時代に入るのですが、その時代も、潜伏キリシタンとして、彼らは信仰を受け継いでいきました。中山道を歩いていると、山奥にもかかわらず、ここで彼らの遺物が見つかったとか、この寺にマリア観音があるとか、今でこそ記念されています。しかし、権力者が思うがままに政治を行う中、キリシタンたちは命がけで、「御出生以来」つまり「主の年(AD)」で歴史を数えていたことに感銘を覚えました。いかに権力をもっても、人間は歴史の支配者ではない、とキリシタンたちは証ししていたのです。
 平成の次は何になるのだろうと、うかれたこの国ですが、それ(元号)は、この世の支配者の歴史の数え方なのです。私たちキリスト者は、主の年で歴史を数えます。昔も今も、そこに一本、筋を通し、時の権力を相対化するのがキリスト者の在り方なのです。
危険も顧みずそのような信仰画を残し、祈りの言葉を記録したのは、すべて、礼拝のためでした。礼拝という筋を通し、主の年を1年、また1年と刻んで行く。キリスト者の殉教の血が証しするバトンは、今、私たちの手に委ねられています。次の信仰者の手に確かに渡すために。