ローマの信徒への手紙1章1~7節

きょうから、泉教会では礼拝でローマの信徒への手紙を読んでいきます。この手紙は、実は、キリスト教の二千年の歴史において最も大きな影響を及ぼしてきたと言うことができます。たとえば500年前、ルターは「自分はどうしたら神の前に立つことができるのだろうか」と悩みの中にいました。見つけた答は、この「ローマの信徒への手紙」の中にあった信仰義認でした。これが、五百年前の宗教改革の原点となりました。つまり、ローマの信徒への手紙が、宗教改革を引き起こし、プロテスタント教会を誕生させたのです。プロテスタント教会の出発点が、ここにある、と言ってもよいのです。

さて、パウロは自分のことを「神の福音のために選び出され、召されて使徒となった」と言っています。ダマスコ途上、イエスご自身が彼に現れ、語りかけました。その主イエスとの出会いによって、彼は人生を百八十度、転換させられてしまいます。やがてイスパニアに行くためにあなた方のところから送り出してほしいと、ローマの教会に書いた手紙が、ローマの信徒への手紙でした。まだ会ったことのないローマの信徒たちに向けて書かれた自己紹介の手紙でした。この自己紹介で、自分は「キリスト・イエスの僕」と言いますが、「僕」という字は、「奴隷」です。僕だということは、自分は誰に支配されているか、ということです。パウロは、まだ会ったことのないローマの教会の人々に真っ先に何を言ったかというと、自分は主イエスに完全に所有されている、ということです。それが、「生きるにも 死ぬにも、わたしのただ一つの慰めだ」と。ローマの教会の人たちは、どんな履歴書を読むよりも励まされたに違いありません。

私が、自分は牧師になるのだ、と思っていた時のことです。自分が勝手にそう思っているだけではないか、とても不安だったのです。自分から出発すると、そのような不安がありました。しかし、いくつかの節目を越えて初めて、ああ、本当に神からの「召命」だったのだ、と思ったものです。それからずっと後になって、私の家は武蔵国と相模国の二つの国の国境線だったと気づいた。そうか、私は神の国の国境線を告げる者だったのだ。まさに神の国の「国境の人」なのだ。後に知った意味の発見でした。パウロは、自分は「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となった」と履歴ではなく、自分の存在の意味を言います。これが自分という人間なのだ、と。大事なのは、そして最良の自己紹介は、キリストが私を捕えて、「生きるにも 死ぬにも、ただ一つの慰め」を与えてくださったことだったのです。